伊勢志摩百物語~名木・奇樹を訪ねる~
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- 7 -22102201寝起松近鉄山田線JR参宮線宇治山田駅伊勢工業高老樹一株があり、臥龍のごとく青々と茂り、「俯シテ起ントス勢ヲ俗諺ニネオキノ松ト称ス」と名前の由来を記しています。しかし、それほど勢いのあった這松でしたが、明和4(1767)年8月の大風で倒れ、枯れてしまいました。それを惜しみ、その後に小松を植え、今に至るとしています。現在の松はその後の何代目かわかりませんが、這松ではなく、まっすぐに立っています。 河邊大宮司精長朝臣は江戸時代初期の寛文年間(1624~45)の大宮司と伝わります。神宮の大宮司は古来神都に居住しますが、河邊家は鎌倉時代から寛永7(1630)年に岩淵町へ移るまで河崎に近い河邊に住んでいたため、この家名を得たとしますから、精長はこの地に住んだ最後の河邊家の大宮司にあたるのでしょう。精長はわからなくなっていた伊勢神宮の摂末社の旧地を探し、再興したことでも知られます。 地元の古老によると「禰宜置き松」とも呼んだということですから、邸宅跡の松が神社としてまつられるようになったと考えられます。寝起松神社はいつの頃からか、子どもの寝起きに霊験あらたかとされ、乳幼児の守り神とされるように。名物松の力にあやかる人々の願いがうかがえます。(千種 清美)■アクセス近鉄宇治山田駅から徒歩約10分。■周辺の見どころ◉尾上(おべ)御陵…天照大神を伊勢へ導いた倭姫命の御陵と伝わり、宮内庁が管理する。このあたりが常明寺跡になる。◉隠岡(かくれがおか)公園…昭和の発掘調査で弥生時代の遺構、土器が発見された遺跡。掘建式住居がモニュメントとして建つ。寝起松の全容神社の由緒
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