伊勢志摩百物語~渚・港を歩き憩う~
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- 18 - 志島の地名の起こりは、志摩国が国制をしき、国主高橋朝臣が国府を置き墓所とした所を「シジマ」と呼び、その墓地の静寂からとった地名だといわれています。現在も古い墓所と考えられる古墳が点在しており、志島古墳群と呼ばれています。 古墳時代に人々が生活した集落は海の近くで発見されるものが多くあります。これは、当時の人々が海に関わる生業を行っていたからだと考えられます。漁撈により海産物を得たり、塩をつくったりして生活していたのでしょう。  また、志島は志摩半島の南東端に位置し、九州地方、瀬戸内海、大阪湾から伊勢湾以東に向かう海上ルートの要所に位置しています。古墳は墓であるとともに人々の目を引くモニュメントでもありました。古墳は、海から見えやすい場所につくられており船に乗って遠方から訪れた人々は、海岸に築かれた古墳をみて、この地域の権力、経済力を感じ取ったことでしょう。 実際に市後浜へ出かけると、南北に延静寂の地といわれる古墳の鎮まる志島市後浜へ降りると多くの人でにぎわっていました。9.市いち後ご浜 (志摩市阿児町志島)

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