伊勢志摩の萬葉(いせしまのまんよう)
◆伊勢志摩を歩く:106ページ
◆解説:萬葉人にとって伊勢志摩は憧憬(しょうけい)の地であった。柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)も伊勢志摩を思い浮かべてつぎのような歌を作っている。
伊勢の国にいでます時に、京(みやこ)にとどまれる柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそんひとまろ)の作る歌
あみの浦に(あみのうらに) 舟乗りすらむ(ふなのりすらん) 娘子らが(おとめらが) 玉裳の裾に( たまものすそに) 潮満つらむか(しおみつらんか)(巻1・40)
釧つく(くしろつく) たふしの崎に(とうしのさきに) 今日もかも(きょうもかも) 大宮人の(おおみやひとの) 玉藻刈るらむ(たまもかるらん)(巻1・41)
潮さゐに(しおさいに) 伊良虞の島辺(いらごのしまへ) 漕ぐ舟に(こぐふねに) 妹乗るらむか(いものるらんか) 荒き島廻を(あらきしまみを)(巻1・42)
【伊勢の国に天皇が行幸(ぎょうこう)されたときに、都にとどまった柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそんひとまろ)が作った歌
あみの浦に(今の鳥羽市小浜町) 舟遊びをしているであろう そのおとめたちの 玉裳(たまも・スカート)のすそに 潮が満ち寄せていることだろうか
(釧つく:枕詞。腕輪。) 答志(とうし:鳥羽市答志町)の崎で 今日あたり 官女たちは 玉藻(わかめなどの海草)を刈っていることだろうか
潮騒が聞こえる中で 伊良湖の島(伊良湖岬とも鳥羽市神島町とも)あたりを 漕ぐ船に 彼女も乗っていることだろうか あの荒い島のまわりを
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