「激おこぷんぷん丸」と聞いて、どう感じますか? 古い? さすがにもう使わない? もしかすると、初めて聞いたという世代の人もいるかもしれませんね。つい最近までは「 卍(まんじ)」ということばもありましたが、今でも使っている人はいるでしょうか?
1993年発刊の『わすれてはならない現代死語事典』には、「アベック」、「ガリ版」、「三角ベース」、「ズロース」、「雪隠(せっちん)」、「坊ちゃん刈り」など、561語が収録されていますが、例に挙げた中で、わかることばはありますか?
このように、ことばは生まれては消え、生まれては消える、諸行無常の世界です。「アオハル」も「エモい」も、そうそう「タピる」も、まもなく消えるかもしれませんね。死語の増加は当然の流れです。ですが、世代を超えたコミュニケーションに不可欠なことば、古き良きことばは残すべきで、その使命を担うのが学校の先生です。ほら、さっきの「せっちん」は、昔読んだ絵本『モチモチの木』に出てきませんでしたか?「まめ太がせっちん(便所)へ」。
あなたは、前の世代から受け継いだことばのうち、どれを次の世代に伝えたいですか? 今あることばが、死語になるもならないも、みなさん次第です。
日本茶といえば、静岡や京都の宇治を思い浮かべる人も多いでしょう。実は三重県も全国屈指のお茶の産地なのです。
三重県で生産される日本茶は「伊勢茶」と呼ばれ、栽培面積・生産量・生産額は、静岡、鹿児島に次いで全国第三位。日本茶は栽培方法によって、煎茶、玉露、かぶせ茶などの種類がありますが、三重県はかぶせ茶の生産量が「日本一」(出典:農林水産省『茶をめぐる情勢(令和2年3月)』)なのです! 日本茶で有名な地域の中には、三重県で収穫した茶葉を加工し、地元の名産として販売しているところもあります。
「伊勢茶」は三重県の誇るべき名産品ですが、近年は若者の担い手が減り、廃業する茶農家や耕作放棄地が増えています。現代日本社会学部「地域社会研究会」の学生たちは、「若い人にも日本茶の現状や魅力を知ってもらい、伊勢茶はもちろん、日本茶の発展につなげたい」という熱い思いのもと、地域と協力しながら「宇治山田の和紅茶」を企画・販売しています。伊勢茶を発酵させてつくる「宇治山田の和紅茶」は、紅茶に似た味わいで人気を博しています。機会があれば、ぜひ飲んでみてくださいね。
幕末に起こった尊王攘夷運動。「藩によって地方がバラバラ、士農工商によって国民がバラバラでは、もう日本はやっていけない」と、幕末の志士たちは考えたのです。なぜ、やっていけないのでしょう?
その頃は、欧米諸国によるアジア、アフリカ、オセアニアの植民地化が急速に進んでいました。「もし、欧米諸国が日本に不当な要求をしてくるようなら、皇室のもとでひとつにまとまり、断固として退けるぞ!」という意志が、尊王攘夷には込められています。
坂本龍馬は尊王攘夷の志士ですが、欧米諸国に対抗するためには、むしろ進んで、欧米諸国の科学技術や社会制度などを取り入れなければならないことをよく知っていた人物です。日本を愛するがゆえに、海外に目を向けたのでしょう。幕末の志士たちが、明治時代になって文明開化を推し進めたのも、ある意味では尊王攘夷のためだったと言えるかもしれません。
“シンリガク”と聞いて、思い浮かべることは何ですか? 人付き合いの役に立つ? 悩み解決の役に立つ? それとも、仕事や子育ての役に立つ? 高校生や大学新入生に聞いてみると、そんな答えがよく返ってきます。はたして、心理学はそんなに「役に立つ」学問なのでしょうか?
心理学とはヒトの心のしくみやはたらきを理解し、日々の生活を豊かにすることを目指す学問です。大学で学ぶ心理学は、どちらかといえばヒトの心を理解することに重きをおき、そのために必要な実験、検査、調査といった心理測定の方法とデータ分析の技能を身につけることに多くの時間が割かれます。実験なんかして何がわかるの? 何で文系なのに数学を使うの? といった声が聞こえてきそうですが、こうした地味な作業が心の理解の基礎となるのです。
大学で4年間心理学を勉強しても、友だちの心が読めるようになったり、お金を特別たくさん稼げるようになる可能性は小さいでしょうが、ヒトとの相互理解を深め、家庭や学校、職場等で周囲の人々と豊かで健やかな日々を過ごすのに役に立つ、しっかりとした土台を築くことができるでしょう。
どの地域にも方言があるって、ご存知ですか? 都会は標準語じゃないの? と思うかもしれませんが、標準語の基盤となっているのは東京の方言です。それでは、方言はどのように生まれるのでしょうか?
一つは、古くから使ってきたことばを流行りの新しいことばに切り替えずに、使い続けているものです。満腹のため苦しいことを伊勢志摩地方では「ずつない」といいます。これは古語の「ずちなし(術無し)」に由来するものです。もう一つは、地域特有の暮らしぶりから必要に応じて発生したものです。「ヒオウギガイ」を志摩地方では「ばた貝」とか「あっぱ貝」と呼びます。帆立貝のように口を開け閉めする様子から名づけられたものです。図鑑やインターネットが普及していない時代に、地域の人たちが形状や動作によって貝の名前を決めたというわけです。
ことばは、使われてこそ命をつないでいきます。方言が消滅することを悲しむ人もいますが、その反面、また新たな方言が生まれていることもあります。今、使っていることばを記録し、使われ方を分析しておくこと。それが大切なのです。
江戸時代、日本全国からたくさんの人が伊勢神宮に参拝するようになり、「おかげ参り」と呼ばれる爆発的なブームが起きました。でも、いろいろな事情で伊勢に行きたくても行けない人もいました。そんなとき、ご主人に代わってお伊勢参りをしていたのが「おかげ犬」です。
この犬は、お伊勢さんのお札やしめ縄、道中用のお金を入れた袋などをつけていたので、お伊勢参りの犬だと一目でわかったそうです。道中の人々は、エサを与えたり、一緒に宿に泊まったりして、積極的なサポートをしました。そのため、おかげ犬は無事にお参りすることができました。そして、伊勢にたどり着いた犬は神宮でお礼をもらい、再びご主人の元へと帰っていったそうです。
当時の人たちの「お伊勢さん」に対する厚い信仰心と、助け合いの心がしのばれるエピソードです。
ふだん何気なく使っているツイッターですが、みなさんが日々つぶやいている投稿を、地理情報システム(GIS)を使ってデータを分析すると、地域の文化についての興味深い特徴が見えてきます。
ツイートするときに、「だから」という言葉は使いますか? ツイッターのデータを分析して地図に示すと、「だから」は愛知・長野・新潟県よりも東側で使われており、三重県を含む近畿地方では同じ意味の言葉として「やから」が多く使われる傾向がわかります。また、文末に「笑」や「w」を使いますか?同じように地図にすると、「笑」は主に西日本で、「w」は主に東日本でよく使われているようです。このように、ツイッターのデータをGISで分析して地図を描くと、地域の文化や社会に関するさまざまな側面が見えてきます。
あなたがふだんツイッターで使う言葉には、地域のどんな特徴が表れているのでしょうか?気づかないうちに地域特有の言葉を使っているかもしれませんね。
近年女性の社会進出に伴い、夫婦別姓に関する議論が盛んです。そうした中で、保守派の人たちが「夫婦同姓は日本古来の伝統だ」と主張し、これに対してリベラルな人たちが、源頼朝と北条政子の夫婦の例をもち出し、「日本の伝統はむしろ夫婦別姓だ」と主張しているのを目にすることがあります。
こうした混乱が起きる背景には、前近代の日本人が名乗っていた「姓」と「名字」の混同という問題があります。本来は「藤原」「平」「源」などといった、主として平安以前に多く使われ、下の名前との間に「の」をつけて読む名前のことを「姓」といいます。「たいらのきよもり」、「みなもとのよりとも」など。これは父親の姓によって決まる男系血縁集団の名称です。それに対して、「北条」「足利」「徳川」などといった、主として鎌倉期以降の名前で、下の名前との間に「の」を入れない名前のことを「名字」といいます。「あしかがたかうじ」「とくがわいえやす」などです。これは同居する家族の名前なのです。
夫婦というものは、本来他人であった男女が同居することで始まります。ですから、血縁集団である「姓」の次元では別姓、同居集団である「名字」の次元では同名字というのが正しい「日本の伝統」なのです。
起業とは、新しく事業を起こすことです。それは、困っている人や満足していない人を助けるために、自らが立ち上がることを意味します。ですから、必ずしも株式会社などを立ち上げることではありません。高校生でも大学生でも、今すぐに起業することができます。
事業を成立させるには、誰かに必要とされるものを生み出すことが大事です。自分がやるんだと決意して、数々の困難に打ち勝ち、そして実際に人を助けるのです。現代日本社会学部の経営革新コースは、そういうカッコイイ人を育てるために存在します。
自分を物語の主人公だと思ってください。強敵が現れたとき、主人公は一目散に逃げ出すでしょうか? 一度や二度、負けたくらいで諦めますか? 困っている人を見捨てるでしょうか? たとえ力が足りなくても、主人公は諦めたりしません。恐怖に震えようと、前に進み続けるのです。そしていつしか、自分の夢を叶えます。これが起業です。
あなたも経営革新コースで学び、起業家になりませんか。世のため人のために生きる…。きっとそれは、充実した人生といえるでしょう。
地元の人々が古くから親しみ、旅行者にもローカルフードとして人気が高い「伊勢うどん」。これに付加価値を付けようというのが「+X」です。トッピングを増やしたり、小丼を付けたりと、すでにバラエティーに富んだ伊勢うどんがあるのに、いまさら…と思う人もいるかもしれません。そこで、食べ物とは違った付加価値を付けることを考えてみましょう。
発想を変えるには、まず「伊勢うどん」とは何かをきちんと理解すること。次に、歴史を調べ、誕生した文化的背景を知ることが大事です。その上で、どこをターゲットにするかマーケティングリサーチをします。そういった準備を経て、はじめて「+X」の構想にたどり着くのです。
ここまで来たらしめたものですが、もうひとつ重要なことがあります。それは、「X」を見つける想像力です。周りとも協力して知恵を出せば、きっと素晴らしい「+X」が生まれてくるでしょう。
例えば「伊勢うどん御朱印帳」というのはどうでしょうか。伊勢で食事をしたら御朱印のスタンプを押してもらい、スタンプがたまったら記念グッズがもらえるというアイデアです。ほかに、あなたならどんなアイデアが浮かびますか?
ここまで読んで「面白そう」と感じた人は、すでに「+X」を構想する力を持っています。自分の可能性を試してみたい人は、ぜひ経営革新コースの扉をたたいてください。
ウインタースポーツを楽しんだ経験はありますか? 真っ白な雪の上を颯爽とスキーやスノーボードで滑るのは気持ちがいいですよね。ところで、なぜスキーやスノーボードが雪面を滑ることができるのか考えたことはありますか? その理由は…いまだにはっきりと解明されていません。
ふたつの説があります。そのひとつは「水潤滑(みずじゅんかつ)説」です。スキー滑走面の摩擦熱が雪を溶かし、滑走面と雪面の間に水膜ができることによって、摩擦係数が減少して滑るというもの。雨天時に車のタイヤが滑る理由と同じですね。また、摩擦熱だけではなく、氷は圧力をかけると融点(氷が融ける温度)が下がるため、スキー滑走の圧力によって雪が溶け、滑るとも考えられています。しかし、この水潤滑説では水分を多く含んだ湿雪でスキーの滑走性が悪化することやスキー板の滑走面にワックスを塗布することで滑走性が向上する理由が説明できません。
もうひとつの説は「固体潤滑(こたいじゅんかつ)説」です。スキーの滑走面は摩擦係数の低いポリエチレンという素材でできており、雪の結晶も非常に面積が小さいので、固体同士の摩擦が小さくなるので滑ると考えられます。しかし、もしそうなら滑走性を高めるためのワックスをスキー板の滑走面に塗る必要はないはずです。
日本を代表するアニメ映画といえば、宮崎駿監督による一連の作品を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか? 数多くの有名作品の中でも『となりのトトロ』(昭和63年公開)と『千と千尋の神隠し』(平成13年公開)は、年齢や国を越えて愛されており、日本を舞台にしている点でも共通しています。
2つの物語には神社や神さまがたくさん登場します。例えばメイが最初にトトロと出会った大楠には、神社でよく見る注連縄(しめなわ)がありましたし、サツキがメイを背負っていたバス停は「稲荷前」という名称でした。また、千尋が働くことになった湯屋には八百万の神々が風呂に入っていましたし、少年ハクは「ニギハヤミコハクヌシ」という神様みたいな名前でした。そもそもタイトルにも「神」が含まれています。どうやら宮崎アニメの背景には、日本人が大切にしてきた「神道らしさ」が、ゆるやかに溶け込んでいるようです。
コミュニケーションをとるということは情報伝達をすること。つまり、英語でコミュニケーションをとるなら、英語力もさることながら、何を話すかという「ネタ」が重要です。
外国人観光客は日本の歴史・文化に関心をもっているので、歴史的・文化的な「ネタ」で話は盛り上がるでしょう。ですが、歴史の教科書に書いてある内容をそのまま伝えてもあまり面白くなさそうですね。例えば、歴史の名場面を英語にしてみるとどうなるでしょうか?
赤穂事件を元にした『忠臣蔵』には、江戸城内松の廊下で一人の武士が「この間の遺恨覚えたるか!」と叫びながら、悪役の武士に突然斬りかかって取り押さえられる有名なシーンがありますが、これはどのように英語で伝えたらいいでしょうか? 登場人物の発言を直訳して「Remember my grudge from the other day!」としてもいいですが、「義理」や「人情」など文化的なキーワードを使って、江戸時代の社会規範と価値観を紹介しない限り、ストーリーの展開と300年以上に渡って語り継がれてきた魅力は伝わらないでしょう。
受験のための丸暗記とは違い、正確に「ネタ」を伝えるために日本の歴史や文化について調べたり英語で考えたりすることによって、初めて歴史と英語を有機的に関連づけることができます。それにより、やっと両者を自分のものにするし、相手に伝えることができるのです。
「新元号の令和は、万葉集から」と、聞いたことがある人も多いでしょう。万葉集は、全20巻からなる日本最古の歌集です。「令和」の出典元となったのは、巻五の「梅花の歌三十二首」の序文。「初春の令月にして 気淑(きよ)く風和(かぜやはら)ぎ」になります。
「梅花の歌三十二首」は、奈良時代に大宰府の長官・大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で、宴の際に詠まれたもの。そこに集まった官人たちが、梅の花を題材にして歌を詠みました。山上憶良(やまのうえのおくら)の歌もあります。
三十二首の中には、「万代(よろづよ)に 年は来経(きふ)とも 梅の花 絶ゆることなく 咲き渡るべし」(筑前介佐氏子首〈ちくぜんのすけさしのこびと〉)という歌も。わかりやすくすると「永遠に 年は過ぎても 梅の花は 絶えることなく 咲き続けることでしょう」という意味になります。歌と同じように、「令和」には、日本がうるわしく平和で栄え続けるように…という願いが、込められているのではないでしょうか。
「遊び」と聞くと、学びとは対極にあるように感じられるのではないでしょうか。「遊んでないで、勉強しなさい」と、言われていませんか? しかし、乳幼児期の子どもたちにとって、「遊び」はとても重要な活動なのです。
乳幼児期は生きていくための基礎となる力を育てる時期です。それはどのような力でしょうか? 「非認知能力」ということばを耳にしたことはありませんか? 乳幼児教育では、「非認知能力」が生きていくための基礎となる力だといわれています。具体的には、何かに集中する力、自分の気持ちをコントロールする力、他者と円滑にコミュニケーションする力、自分を大切にすることなどです。
例えば砂場で子どもたちが、夢中になっている砂のトンネルづくり。その中で何を学んでいるのでしょう。もちろんトンネルを複雑に構成するとか、崩れないように作ることを通して、理科的、算数的な学びも得ていることでしょう。でもそれ以上に、遊びに集中する面白さや人との関わりを通して課題に取り組む力やコミニュケーション力を獲得しているのです。非認知能力が育っているのです。
「遊び」は、人として生きていくための基礎的な力を育てる、子どもたちにとって大切な栄養源なのです。
認知症とは、脳細胞の死滅や老化によって認知機能が低下し、日常生活が困難となった状態をいいます。
しかし、一切の行為ができなくなるわけではありません。新しいことを記憶するのは苦手でも、幼少期に聞いた昔話や歌謡曲ならスラスラと出てくる方がいらっしゃいます。ビデオやスマホは扱えなくても、おいしい黒豆を炊いたり素敵な洋服を仕立てたりできる方がいらっしゃいます。
また、言葉が分からなくなり会話ができなくなっても、表情、しぐさ、声の大きさ・トーンで、目の前の相手がどのような想いで自分と接しているのかを敏感に感じとっていらっしゃいます。そして、言葉は出てこなくても、喜び、怒り、悲哀など様々な感情を抱いていらっしゃいます。
本学科の授業で、あなたも認知症の方の世界についてより深く理解してみませんか?
皆さんは中学校の数学で初めて負の数を扱い、(負の数)×(負の数)が(正の数)になることを学習しましたよね。つまり、実数の世界においては0以外の数を2乗すると、どんな数でも正の数になります。一方で、高校の数学で初めて学んだ「虚数i」とは、“2乗すると-1となる”実際には存在しない数のことでした。
では、なぜそのような実在しない数を学ぶ必要があるのでしょうか? 実は、実数と虚数を組み合わせた「複素数」の世界で数学を考えることで、これまで説明できなかった現象を説明できるようになったり、新たな発見がなされたりするなど、世界はぐっと広がっていったのです。つまり、虚数は実際には存在しないとされているにも関わらず、世の中のことを解明するのに欠かせない数なのです。
虚数iを導入することにより、「実数の世界」「複素数の世界」というように数学の世界をより多面的に、そして多角的に捉えることができるようになります。あなたも奥深い数学の世界に足を踏み込んでみませんか? 今まで学習してきた点と点が一本の線でつながる瞬間があり、それはきっと数学のおもしろさにつながっていきますよ。
高校化学の学習は、実験観察を通して原理や法則を理解すること、実験結果を化学的に考察する能力を身に付けることを目標にしています。このような学習を通してこそ、化学で学ぶ内容は「日常で実際に生じる現象は、私たちと生き生きとつながっている」ということを見せてくれます。また、大学で専門教育を学んでいく基礎力や活用力のベースとなるものでもあります。
例えば、高校では化学学習の入り口にもなる原子配置について、ニールス・ボーアが提案したモデルを学習してきました。K殻・L殻・M殻・N殻への電子の配置です。大学化学では、さらに原子軌道・電子配置の考え方であるs軌道、p軌道、d軌道の考え方と、原子軌道の概念である構成原理、フントの法則、パウリの排他原理等を学びます。
大学ではこれらの概念の必要性を理解し、さらに概念を獲得するために倫理的思考を取り入れた協働学習、つまり仲間とアイデアを出し合うブレインストーミングやアイデアを整理するKJ法などをふんだんに取り入れます。「暗記の化学」ではなく、学習内容をより深く理解し、その後の「電子論」を中心とした化学へと連続的につなげていきます。これらは化学のおもしろさにつながっていきます。
昭和10年に始まった芥川龍之介賞は、現在まで数多くの小説家たちを世に送り出してきました。毎年2回、一人か二人の受賞者を選び抜く、その「選抜システム」は大ざっぱにまとめると以下の通りです。
どうでしょうか? 芥川賞のシステムは、売れたいお笑い芸人やアイドルデビューをめざす少年少女、メジャーデビューしたい歌手が切磋琢磨するテレビ番組などの仕組みと、ほとんど一緒なのです。
私たちはどうやら、既に完成された「おもしろいもの」だけではなく、その「おもしろいもの」が、誰かに褒められたりけなされたりして評価されていく過程も、楽しんでいるようです。それを、90年ほど前から「純文学」で続いているのが、芥川賞なのです。
芥川賞は、毎年1月と7月に受賞者とその作品が決定します。その1か月ほど前には、ノミネート作品が発表されます。ノミネート作品をチェックし、芸人やアイドル、歌手を応援するのと同じように、気になる作品を見つけてみるのも、「文学」の楽しみ方の一つです。
鮮やかな色彩はそれだけで目を引きます。日本の古代では、位階にしたがって身に着けることのできる色が決まっていました。したがって「白(white)」を頂点とする色彩の序列は、その色を身にまとう人物の地位を示します。平安時代を描いた物語には、あえて低い位からキャリアをスタートさせた貴公子(光源氏の息子、夕霧)が、六位の衣の「あさみどり(light green)」をさげすまれる様子が描かれています(『源氏物語』少女巻)。
反対に使用を禁じられた色もあります。「深い紅(deep red)」は大量のベニバナで絹を染める贅沢な色であり、火事を連想させる「火色」であるとして、禁止の対象となっていました(『政事要略』)。
高貴な白、六位の緑、禁じられた紅……。古代の人々は、現代の私たちとは異なり多くの制限があった分、色に対する敏感な感覚を養っていたのかもしれません。このような平安時代の染色については、原料・配合について詳しい記述が残っています(『延喜式』)。好奇心旺盛な将軍・徳川吉宗は平安の色に関心を注ぎ、スタッフに命じて染色の再現を試みています。
さまざまな史料から色に込められた時代ごとの意味を読み解くことは、過去と対話をするようでロマンがあると思いませんか? 現代と過去と比較することで、私たちが生きる今を新たな視点から思考できるようになるでしょう。