第十三巻一号(通巻七十二号) 昭和五十五年二月 |
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文化理論における価値について |
阿部 達彦 |
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伴 信友の序のある『医宗仲景考』刊本の存在について
[研究ノート] |
谷 省吾 |
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西宮一民著『古事記』[書評] |
小野田 光雄 |
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半田美永編『阪中正夫集』[新刊紹介] |
北川 伊男 |
第十三巻二号(通巻七十三号) 昭和五十五年四月 |
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ブーバー著「我と汝」冒頭三章の解釈 |
野口 恒樹 |
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Ich sein und Ich sprechen sind eins.
―思想における翻訳と解釈の問題― |
齋藤 昭 |
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国史の引用より見たる政事要略の編纂態度と編者の日本紀観― |
清水 潔 |
第十三巻三号(通巻七十四号) 昭和五十五年六月 |
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廬城河をめぐる弓祭りと古代製鉄 |
真弓 常忠 |
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伝馬の補充原則と更新率について
―正税帳の分析と令条文の検討― |
岡田 登 |
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以仁王令旨考 |
平泉 隆房 |
第十三巻四号(通巻七十五号) 昭和五十五年八月 |
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祭る・祈る・繰りかへす ―神道祭祀論序説― |
谷 省吾 |
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萬葉集二五六番「乱出所見」の訓について |
橋本 雅之 |
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「我が存在することと我が話すこととはひとつである」
(ブーバー) |
野口 恒樹 |
第十三巻五号(通巻七十六号) 昭和五十五年十月 |
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源氏律令考 ―少女の巻に就いて― |
瀧川 政次郎 |
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白村江戦後の唐の脅威 |
棚橋 利光 |
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思想の「解釈―翻訳」と「翻訳―解釈」の問題 |
齋藤 昭 |
第十三巻六号(通巻七十七号) 昭和五十五年十二月 |
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伊達千広の「大勢三転考」について ―その思想史的一考察― |
荒川 久壽男 |
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H・リードの芸術教育論の基盤
―That Art Should Be the Basis of Education― |
西野 範夫 |
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伊勢国市村駅家所在地考
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岡田 登 |
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